タイムスリップど田舎生活から

先日買い物に隣町へ車で出かけた。山間のわが町(ちょぉ)はどんより曇り空だったのに、阿賀野川沿いに峠迂回して、いやしくも盆地の外れの隣町入り口に差し掛かると、カラッと晴れていたりして。たまに平地みたりすると、おぉ、大都会、とか思ったりして。

18で大学行くんで東京出てさ、以来なんとなく30ン年間経っちまったわけだが、東京郊外の市でしょ、調布市府中市か、京王線だわね。世田谷区は成城学園とか下北沢ね、小田急線と。んでど真ん中の四谷(千代田の方じゃなくって新宿区だけど)とか、都ど外れ東村山の隣は西武鉄道本社のすぐ近く、とかね。ま、そんな住環境でそれなり年輪重ねてさ、気分はとっくに都会人、てな按配なんだろがね。



大連にも、おれの名義じゃないけど、マンションあってさ。ま、そりがでけぇんだわ。東京だったら、ん億ションだわな。中共なもんで土地付じゃないから、お値段1/10以下だけんどもネ。
24時間ガードマン待機のホテル仕様というわけね。阿姨(アィ)てな住込み女中てか家事全般お任せがいてね。ま、平たく言うと、人件費がバカ安なんだわね。替わりも、腐るほどいる支那

大連はね、日露戦争ポーツマス条約以来の日本租借地(外地=時限切って借りてはいるけど実質日本領土さ。行政は日本の関東州庁てな役所が担ってたわけ)だったわけで、つまり40年間(1905−45)日本だったわけね。

台湾が日清戦争下関条約割譲(領土の一部を外国に渡すこと)以来の50年(1895−45)でしょ、朝鮮は併合という合邦(領土の全部を外国に渡すこと)以来35年(1910−45。四捨五入だとか足掛けだとか数え年だとか阿保かまし日帝支配36年てなバカン言ってるけどネ)じゃん。だから、二番目に古いわけね。台湾は、李登輝氏総統就任(1988.1.132代目蒋経国死去副総統持上り。1996.3.23支那圏初の直接選挙で大勝して正統的総統誕生)以来、大勢は、親日どころが日本精神(リップンチェンシン)大発揮でさ、ファン急増じゃん。

朝鮮はねぇ、ま、言わずもがなだな。
ざっと、まず南北1948年の8.15(宣布式は8.13だそうで)と9.9でしょ。すぐ、あれ?45年からはどーしてたのよ?だよな。ま、毛唐も自治能力無しわかってて、信託統治進めてたわけね。冷戦(実質第三次世界大戦)始まってたし。

問題は、それぞれ傀儡空っぽ頭(李承晩に金日成てな金成[聖]柱)が、双方、勝手に言ってる独立運動てな実態はそれぞれ親分(米・中にソだわな)に集りで食繋いでいて、朝鮮半島域内には入れなかったわけさ。で、李は上海にアメリカ、金は満洲から極東ソ連領を転々としていたんで、近代日本の洗礼を受けえず仕舞いで、李氏朝鮮(ったく1392−1910という何と518年の停滞)そのまんまのどタマ(片や半端な毛唐頭、片や満洲育ちの支那語で育ちソ連長いからロシア語で朝鮮語わからんと)で、終戦後(合邦して以来日本だったからさ。その前は延々支那属国だし光復なんて勝手な話な。元が無い、んだもんさ)の故国に帰還した、てかそれぞれ親分に送り込まれた、てなわけね。(『東アジア「反日」トライアングル』古田博司・文春新書P.14)

で、李承晩→(尹潽善いんふぜん)《5・16軍事クーデター》(張都暎)→朴正熙《暗殺》→(崔圭夏)→全斗煥→慮泰愚→金泳三→金大中→慮武鉉、と来てるんだったな。

…あらぁ、もう(9:20)曇ってきたぞぉ。それも真っ暗だわ。こりゃまた雨だな。…

アカピ~狗エッチケ~の押付けで、何となくカタカナで読んでっけどさ、んなもん漢字で書いてあんだから、まんまでえぇやん。

で、りしょうばん→ぼくせいき→ぜんとかん→ろたいぐ→きんえーぞー→きんでーちゅー→ろぶげん、てなわけだな。

南はR発音でけんで、「り」「ろ」が「い」「の」、なんだよな。
の・むひょぉ〜ん、なんてホロけた発音できっかぁってんの。

ちなみに、1997年にトンずらこいた黄長【火華】は、こうちょうよう、ネ。
無理してファン・ジャン・ヨブとか、舌噛みそだわ。

だから、帰国してびっくらこいたが、おばんら熱中してる「宮廷女官チャングムの誓い」な。カタカナだと、わけわかめ

何のことない、漢字じゃ「長今(ちょうきん)」てな、女の名前な。固有名詞だよん。で、原題が、偉大なる長今、という意味で「大長今」だと。
だいちょうきん、大腸菌、てなわけだな。きったねぇ。下痢しそう。

てな悪口言ってたけど、あの女優は、えがったなぁ。
で、77歳で夢中になってるお袋に名前聞いたら、いぃよんえぇとか言うんだが、わけわかめ
ま、例の南はR音できねぇから、そら李だろよ、までは即答で当たってたな。
調べたら、李英愛、だってな。

昼飯食って、北方領土に関するNHK特集衛星テレビで見ていたら、12時35分、ぽぉ〜ってさ。慌てて出て、パチリとね。



「花岡信昭ウェブサイト」

2005年11月19日(土曜日)
中韓両国は巧みにあしらっておけばいい

(略)

…考えてみれば、反日」しか発奮材料がないのだから、気の毒な国ではある。だが、それに同情していてもはじまらない

戦後60年。1世代を20年と考えれば、もう3世代を過ぎている。戦争中のことを直接知っている人も相当に少なくなったはずだ。いま、日本の中で、アメリカが原爆を広島、長崎に落としたことを大声で非難する人はいるか。60年たったら、たいていのことは乗り越える。これが人間の歴史である。…