中共=57年4代目盗賊王朝なんだし批孔批林・文革で「伝統」消飛び

     爆竹倉庫爆発で16人死亡 春節連休初日の中国


新華社電によると、河南省林州市では29日夕、爆竹が爆竹倉庫に引火して爆発、16人が死亡、多数が負傷した。

 中国では春節を爆竹で祝う伝統的な習慣があるが、北京では粗悪品の暴発で負傷者が多発するなどしたため、1994年から市街地では爆竹が禁止されていた。

 しかし「爆竹がないと新年を祝った気がしない」(40代男性)と解禁を求める声がここ数年高まり、北京市当局は世論に押される形で大みそかに当たる28日から来月12日まで解禁。…

禁止されてたはずの北京でだって、いつもの公安へのお布施w(通常の定期催し毎のふつうの賄賂≒このばやいは“お年玉”)あげて勝手にやってただろしネ。

ここ3回経験した打ち上げ花火に爆竹等禁止されてない大連での春節では、粗悪品の着火してから打ちあがらない段ボール箱詰め連発打ち上げ花火覘いて“また”クビ飛ばされたみたいよぉとか、せいぜい10メートルしか上がらない隅田川レベルの1/100くらい開く程度のをふつうに住宅街でやって部屋に飛び込んで旧正月早々夜中のボヤだったぁなんてな話は口コミで外国人にも盛んにんなこたぁ当たり前ぇとか伝わってたし、マトメテ小山にした爆竹いっぺんに爆発して地響きだぁに空気乾燥してるからマイナス10度でも枯れた芝生に引火して翌朝あちこち真っ黒けてなことたぁ、しょっちゅう目にする耳にするで地場専門一部5角(割と厚いのに7円w)インチキ新聞のニュースにもならん有様だったけどネw

商用日本語教室の教え子連中(日本語試験既に一級保持者の大学上級生に日本企業勤務者ら)にちょい聞いても、「伝統」のカケラも認識なくっての、大卒でも就職できない、できても安給料こき使われ毎日の単なる年一度公認ウサッパラシてな、一度目印象→二度目確信→三度目呆れた、だったけどぉ。


◆【産経抄

 春節旧正月、1月29日)を北京で迎えた。

わざわざ逝かれましたぁw

除夕(除夜)から年がかわる瞬間、市内中で爆竹と花火の爆音が耳をつんざいた。夜空は蛍光灯のように白く輝き、火薬のにおいが立ち込める。戦場取材の経験はないが、市街戦とはこんな感じかと思うほどだ。

とにかく連発てか一斉デタラメ着火の破裂てか爆発で両手で耳を覆うしかないんだワw

 ▼爆竹は“年獣”を追い払う一種の魔よけ。伝承では頭に角を生やし鱗(うろこ)に覆われた恐ろしい姿の怪獣で、年の初めに村を襲い、田畑を荒らし人を食らうが、爆竹の音と赤い色を恐れるという。年獣は何を意味しているのか。

そんなことまず認識してないね。毎日のウサッパラシだけ

 ▼農耕民族の習わしであることを考えれば、農民を苦しめる自然の脅威や疫病の類だろう。四季がおとなしく巡り、みのり多き一年であるように、との願いが込められているわけだ。ただ大都会の北京市中心部では1994年以降、この習慣は禁止されてきた。

「伝統」「習慣」一切無関係w
もっと外貨必要なんで来年から世界に合わせて新暦採用ぉって中共命じたらさっさと従うと思うね。所詮ウサッパラシができればいいんだからサ

 ▼密集地での火災や事故、騒音防止などが建前の理由だが、本当のところは別にあり、銃声に似た爆竹音が市民に1989年の天安門事件を思いださせ、党に対する憎悪を増幅させることを当局が懸念したのだ−とは当時を知るベテラン北京特派員。

 ▼ならば今回、当局が市民の熱望に応えて爆竹解禁に踏み切ったのは、事件の記憶が風化したとの自信なのか? 「いや、広がる一方の格差などで庶民の体制への不満が高じており、ガス抜きの機会を認めざるを得なかったんでしょう」と解説は続く。

 ▼一党独裁言論統制下では、雷鳴のような轟音にでも紛れなければ語れぬ本音がある。この日、夜空に鳴り響いた爆竹と花火は約45億円分とか。人々の不満の根深さを示すかのようにいつまでも鳴りやまぬ爆音に、過去ではなく(近い)将来に起こりうる新たな事件の悪夢を思って震えた人間も多かったかもしれない。

所詮阿Qらだもん、てなことで全く心配してないとおもぉーよ。
コイツラは、せめて省単位でまとめる勢力があってそれも仕上げ最後の手足に過ぎないのは、それこそ4千年の経験の示すところ。

だからこれも所詮権力中枢前赤皇帝えざわと現赤皇帝古今のつばぜり合いのとばっちりに過ぎないノサてなことで。


進む言論弾圧 中国内も疑問視 「冰点」停刊、編集長は徹底抗戦

 中国の有力紙「中国青年報」の付属週刊紙「冰点周刊」(水曜日発行)が停刊になり、波紋を呼んでいる。

今月11日付同紙に掲載された中国の歴史教科書批判論文に対し、共産党中央宣伝部が「報道宣伝の規律違反」などとして、同紙に「死罪」を言い渡したが、同紙編集長の李大同氏は、処分は憲法違反と抗議、徹底抗戦の構えだ。党の報道規制が相次ぐ中、報道界や知識人の間で胡錦濤政権への疑問の声が高まっている。
(北京 伊藤正)

はぁ?素人(セミプロみたいだが)だってこの程度は指摘()してますよぉw

「そもそも『中国青年報』は胡錦涛・総書記の御用新聞です。胡錦涛の出身母体で胡錦涛人脈の中核をなす共青団中国共産主義青年団)、その全国組織を束ねる共青団中央の機関紙が『中国青年報』なのです。胡錦涛派の大看板といっていいでしょう。」


                 ◆◇◆

 問題の論文は「現代化と歴史教科書」と題し、中国近代史研究の第一人者として知られる中山大学(広州市)の袁偉時教授が執筆した。教授は、(毛沢東時代の)反右派闘争大躍進運動文化大革命三大災難を経た後、人びとは1970年代末になって「狼の乳で育った」ことを知ったが、中学の歴史教科書を読み「今も青少年が狼の乳を飲み続けている」のに驚いたと書き出す。

 教授によると、「狼の乳」とは「誤った思想や文化、観点」を指し、●力群元宣伝部長が79年の学術シンポジウムで使ったという。

●=都の者を登

 袁教授は、日本の歴史教科書を批判しながら、中国の教科書も「西洋人は侵略者であり、中国人には何をやっても理があり、たたえねばならない」との「愛国主義(教育)の要求」に沿い、盲目的民族感情をあおっていると批判した。

「(中華)民族」なんて成立してないもん正確には「華夷思考」だけどネw

宣伝部は「帝国主義列強の中国侵略を肯定、歴史の事実に反し、新聞宣伝の規律に違反、中国人民の感情を傷つけ社会に悪影響を与えた」と断じたという。

へっ!?w 正確には「阿Q的思い込み」

 李大同氏は公開状を発表して処分に反発。その中で、昨年も(1)5月25日付の台湾人記者による台湾の実情報道(2)6月1日付の平型関の戦いに関する記事(3)胡啓立元政治局常務委員による胡耀邦氏の回顧記−などを宣伝部が批判したと明らかにし、宣伝部の報道規制は「国民の権利の侵犯」と非難した。


昭和12年10月、駐屯軍第5師団は太原攻略のため平型関の陣地に進撃した。

そのとき林彪の率いる共産軍が、日本軍の補給部隊(自動車部隊と馬部隊)待ち伏せし、谷間に通りかかったところを急襲し大損害を与えた。

これを中国共産党は「平型関の大勝利」として大いに宣伝した。ところが実際には共産軍は最初ゲリラ的に攻撃しただけですぐに撤退、直接日本軍と対峙したのは中央軍と山西軍だった。

戦後になっても中共党は平型関の戦いは共産党軍だけで戦ったと言っている。」

せっこいよなぁw

つまりはこーゆーことなのにネ。

日中戦争単なる支那事変)においては、戦争らしい戦争と言えるものは、盧溝橋事件から武漢陥落までの約一年余りの期間だけであった。

戦闘パターンもまず反日・抗日集団が日本軍を挑発して逃げ、日本軍が反撃すると中央軍が逃げ便衣隊(便所に逝くのにわざわざ着替えするわきゃないw)になり、市民が日の丸を振って日本軍の入城を歓迎し、その後は支那人が作った新しい治安維持政府により匪賊やゲリラの襲撃を防ぐ、というもの。

支那軍は日本軍と百戦百敗しながら、略奪しながら逃げ回り、しかも蓄財に余念がなかった

三光作戦」の光=尽くすなんてな意味は日本語にゃねぇ〜しぃ

支那での内戦は1910年代に入ってから人民中国の発生まで、激しく続いていた。日本軍が中国大陸に入らなかったら、軍閥達は永遠に闘い続け日中戦争以上の死者を出したであろう。

国共内戦の結果、消滅した国民党軍だけで800万人であると、毛沢東は誇らしげに語っている。

中共成立後も支那人の殺し合いは続き、三反五反運動での粛正、大躍進運動での餓死、文革での闘争などでの被害者は日中戦争よりずっと多い。」

…ってこと。


 中国では近年、報道規制が強まり、最近も北京の新聞「新京報」で、編集長への圧力に抗議するストもあった。共産主義青年団の機関紙の中国青年報でも一昨年、デスクと記者の処分問題で同紙名物記者が公開状で、報道干渉に抗議した。

 報道規制は活字・放送メディアだけでなくネット情報にも及んでいる。当局は、報道は党と人民の「喉舌」、つまり宣伝道具と主張、党や指導部のイメージを損なったり、社会不安を招いたりの記事はご法度だ。

 その論理からすれば、従来の共産党の史観と宣伝に反した袁偉時教授の論文は“党への挑戦”ということになる。ただし教授によると、この論文を3年余り前に発表したときには、問題にされなかったという。客観性が基本の科学的発展観を唱える胡錦濤政権下で言論弾圧が進む現状に、保守派台頭の政治的背景を指摘する声も少なくない。

ズレテる、ね。




「宣伝戦争」に積極参戦して2年で片付けよぉ。害務省は解体して翻訳係でええやん。


◆【風を読む】論説副委員長 中静敬一郎

 ベトナムの人たちが小泉純一郎首相の靖国神社参拝をどうみているかという興味深い「訪問記」が、民主党松原仁衆院議員のホームページに掲載されている。

 松原氏は昨年12月、日越議員連盟の一員として現地入りし、多くの市民たちとの語らいの中で、靖国問題と「中国をどう思うか」の2つを常に尋ねたという。

 靖国への答えは、総じて「関心がなかった」が、松原氏は、首相の参拝はアジア人の怒りに火をつけたとする中国の主張とA級戦犯の合祀をどう思うかを聞いた。

 アジア人の怒りへの答えは「少なくともそれは事実と異なる。我々は思っていない」であり、合祀では、ある女性が「私たちの文化は大乗仏教であって、死んだ人間は善人も悪人も皆仏様である。それゆえに死者にむち打つことはあり得ない」と弁じた。

中国には「多くが『こわい国』と認識していた」と松原氏は紹介している。ベトナム人の死生観は日本人と相通じるものがあるといえ、アジアの多様性と重層性を物語る。

一言では「アジアは一つ一つ」ってことで

 その意味でインドネシアのユドヨノ大統領が今月9日、ジャカルタを訪問した山崎拓自民党副総裁に対し、「我々は(日本の)過去を問う考えはない」と語ったことの意義も小さくない。

 結局、温家宝中国首相らが「首相参拝はアジアの人々の感情を傷つけた」というのは何を意味したのだろう。逆にベトナム人の中国への恐怖に、アジアの人々の感情を読み解く手がかりがあるかもしれない。

中国が先の大戦以降、軍事力を行使したのはベトナム侵攻を含め15回

だが中国外務省の秦剛報道官は昨年12月、「中国の脅威」発言に関連、「中国は他国の領土で殺戮行為をしたことはない」と言い切った。

単に支那人の阿Qっぷり出たぁだけぇ〜息を吐くよに嘘を吐くタチ

 こうした偽情報に踊らされるような人がいるとは思えないが…。

え〜と、意外にここいらまとめてあるのが見つからないw
ここからピックアップしてと…うそつき。

1949年   中国がウイグルを侵略
1950年〜  文化大革命・中国国内外で以降粛清・
        民族浄化及び餓死で3000万人以上が死亡
1950年   中国が朝鮮戦争に参戦
1951年   中国がチベットに侵略し現地民数百万人を虐殺
1959年   中国がインドと国境紛争、カシミール地方の占領
1969年   珍宝島で中国軍がソビエト軍が衝突
1972年   日中国交樹立
1973年   中国軍艦が佐渡島に接近、ミサイル試射
1978年   米中国交樹立
1979年   中国がベトナムを武力侵略。中国が懲罰戦争と表明
1989年   中国天安門にて発生した学生による民主化運動を
        軍隊で強行鎮圧し死者300人以上
1992年   中国が領海法制定により南沙諸島西沙諸島の領有を宣言
1995年   中国が歴史的にフィリピンが領有してきたミスチーフ環礁を占領
1996年   中国が台湾海峡でミサイル発射し台湾を恫喝
1997年   中国がフィリピンが歴史的に領有してきたスカーボロ環礁に領有権を主張
  同年   中国が日本が固有の領土として主張してきた尖閣諸島の領有を主張
2000年   中国の軍艦が日本列島を一周。
        中国が尖閣諸島付近で日本の領海内の海底油田調査を敢行
2004年   中国が沖ノ鳥島は岩であり日本の領海とは認めないと主張
  同年   中国の潜水艦が石垣島の日本の領海を侵犯
2005年   中国が反分裂国家法を制定し台湾に対して武力行使を明言
  同年   台湾問題に介入するなら核攻撃を行うとアメリカを恫喝
  同年   アメリカが中国の巨大軍事国家化を指摘
  同年   中国が沖縄の日本帰属に疑問を示し沖縄は歴史的に中国のものと主張
  同年   中国海軍が春暁ガス田付近に軍艦派遣で示威行動

チベットトルキスタン内モンゴルは現在進行形。)

こういうこと言いっぱなしさせとく害務省がいっちょんイケンわけだ。
戦場売春婦に南京事件(南ギャグ)、在チョン「強制連行」の諸ウソがバレタ昨今の状況からすると、反論するお歴々の最強メンバーもほぼ確定してるし、この際無能害務省連中を翻訳機代わりにコキ使って、どんどん日本発信できる手筈は万端だと思えるな。

いちいちモグラは叩かんと、てめぇらこそ極端やってるのに日本を悪し様にいいまくる支那


麻生外相は「極右の立場代表」と新華社通信が非難

 中国国営新華社通信は29日、麻生太郎外相が28日に天皇陛下靖国神社参拝を実現すべきだとの考え方を表明したことについて、「日本の一部右翼は一貫して天皇陛下靖国参拝復活を鼓舞しているが、麻生外相の発言は極右勢力の立場を代表したものだ」と非難した。(北京 時事)

日本人が日本の立場から考え発言するのは、日本以外じゃ国内政局に右派左派あっても基本は「愛国」当たり前がふつうの世界標準なのだが、いままでそれがヘンだっただけなわけで…。

あり得ない「地球市民」とかネ。これってスタンス自体が自国にないってことで世界じゃ「売国」と同義でしょに。

そのおおもとが東京裁判史観という価値観なら、中共はその尻馬に乗ってるダケなのだから、この際、親日の米共和党政権ある2008年までのこの2年の間に、懸案片付けるのは焦眉の急でしょね。

確かに風はこっちに吹いてるし…。

        ブッシュ大統領の「ヤルタ合意」批判


ブッシュ大統領は昨年5月7日、※ラトビアでの演説で「ヤルタ合意」を「史上最大の過ちの一つ」だと強く非難した。戦後の国際秩序の原則を否定したブッシュの発言は大きな反響を巻き起こした。

「ヤルタ合意」とは、第二次世界大戦後の国際秩序の枠組みとして、1945年2月、ルーズベルトスターリンチャーチルという米英ソ三カ国首脳によるヤルタ会談で決定された。

戦勝国(米英仏ソ中)が国際連合安全保障理事会常任理事国として君臨し、ドイツや日本は「敗戦国」として徹底的に弱体化する。この原則に基づいた戦後の国際秩序は別名「ヤルタ体制」とも呼ばれる。

このヤルタ会談では、ルーズベルトが提唱した「国際連合構想」にソ連が同意する見返りとしてポーランドバルト三国などをソ連の勢力圏と認めることや、ソ連の対日参戦と引き換えに南樺太など北方の領土を与えることなども合意された。

アメリカがかつてソ連との冷戦を戦い、いままた共産主義中国や北朝鮮との交渉に苦労しなければならないのも、もとはと言えばソ連を国際秩序のパートナーとみなし、社会主義イデオロギーを黙認したルーズベルト民主党政権のせいだ、というのが、共和党を中心とする米保守派の歴史観である。…

というわけで、…

ヤルタ協定批判の意味する所を考えてみよう。まずそれは

第1に、ソ連(神無き共産主義国家)を同盟国として日独伊を敵として戦った第2次大戦自体の正当性への疑問に辿り着く。

ブッシュ大統領は、現役の米大統領として、F・D・ルーズベルトチャーチル批判まではできないが、草の根保守のパット・ブキャナンなどはすでにその批判を公にしている。



第2に、それは東京裁判の正当性を疑わせ、A級戦犯非難論のナンセンスを証明する。

ヤルタ会談ポツダム会談から生まれてきたのが東京裁判という復讐の茶番劇であった。これは今日の中共による靖国神社批判の根拠を奪うものである。

ブッシュ大統領は小泉に「堂々とヤスクニに行くべし」とエールを送っているのである


第3に、ヤルタ批判は日本の北方領土返還を強力に後押ししてくれている。ソ連の対日参戦を引き換えに、南樺太と千島のソ連領有を認めたのが、ヤルタでの秘密協定だったからだ。

第4に、ヤルタ批判は日本の国連安保理常任理事国入りを後押しし、ロシアと中共常任理事国であることの正統性を大いに疑わせるものである。

ヤルタでの秘密協定で、ソ連勢力圏の成立を代価として生まれたものの一つが、国連であった。これは現行の国連の正統性そのものを揺るがせ、ブッシュ政権の根本的国連改革の主張に結びついてくる。

正面突破のための国内意識統一には、せめて世界常識「愛国」概念必要でしょうwし、そのためには創価公明はさっさと切ったほーが吉だよね。

      教育基本法改正 「国を愛し」は譲れぬ一線


自民党はこの答申に沿って「郷土と国を愛し」の明記を求めているが、公明党は「軍国主義を喚起させる可能性がある」「戦時中を想起させる」などと反対し、代わりに「郷土と国を大切にし」という表現にすべきだと主張している。

 公明党が「国を愛し」という表現に強く反対する背景には、支援団体の創価学会が戦争中に抑圧された体験があるとされる。創価学会の前身、創価教育学会は国家神道に抵抗し、幹部が大量に検挙され、初代会長の牧口常三郎氏は獄死した。

大震災時在チョン殺並にそれ相応の“理由”はあるわなぁ

 しかし、「国を愛し」の「国」とは、そうした特定の時代の統治機構を指しているのではない。千年以上にわたり、歴史と文化を受け継いできた日本という国のことである

世論調査では、「国を愛する気持ちを育てる必要がある」と答えた人が8割を超えた。

同じ調査で、日本を誇りに思うことを聞いたところ、

(1)「長い歴史と伝統」(40%)
(2)「美しい自然」(39%)
(3)「優れた文化や芸術」(38%)

の順だった。

 これが、多くの日本人が抱いている「国を愛する心」のイメージだ…

テメェ勝手なカルト創価はさっさと切っちまおぉよぉ。

だってぇ…、


安倍晋三官房長官自民党幹事長代理の時「鉛筆や消しゴムを大切にするとは言うが、愛するとは言わない」と公明党の主張を批判した。

国は単なる「モノ」ではない。公教育には、「国を愛する心」の育成が不可欠だ。

で、決まりじゃん。