ゾンビ復活ぅ?カンベンしちくりよぉ。

         民主党代表選 基本政策を…ないものねだりw


… 小沢氏は会見で「政治生命をかけて難局を打開する決意だ」と表明した。政策では「誠実に働く人が報われる社会にしたい」などと方向性を示す一方、憲法改正の必要性に言及した。

 菅氏は小泉政権との対立軸を提示するとし、外交面では米国だけに従うのではなく、アジアとも首脳会談を行うべきだと述べた。

 双方ともこれから政見を肉付けするが、民主党の問題点や国のあるべき姿などをもっと語ってほしい。…

最近テレビにゃやたら利益誘導私服肥やしダケ得意みたいな町村議会議員風情の渡部何某が出てくるし、ニタニタしてるだけの連中写した鳩山御殿とかいう場違い花見映像なんか見てると、こりゃぁ20年前の記録映像かぁ?とか思ってしまうナァ。

そんで、なにぃ?

ニタ奸に、小澤壊し屋一郎が主人公ぉ?…溜息が出るよぉ。

         で、福田康夫か?


民主党の執行部総退陣で、たぶん小沢一郎が次の代表になるのだろう。

前原誠司が代表に就任したときの最大のインパクトが、「これで自民党も世代交代を一気にすすめないと参議院選が危なくなる」というものだった。安倍晋三が次期総理になる筋書きができていた。

それが、昭和17年5月生れの小沢一郎が野党代表になると、じゃあ、自民も昭和11年7月生れの「福田康夫」でもいいかな、とばかり、結果的に大陸中国の望む流れを後押しするだろう。 …

えぇ〜?

         『福田 康夫』20%…


… ANN(朝日新聞系列のTVチャンネル)の世論調査で次期首相に誰がいいか?と尋ねたそうですが、安倍官房長官の1位33%は予想通りですが、次に来る人物が何故か『福田 康夫』20%、です。

以前の各紙、各誌の世論調査では『福田 康夫』は一桁の支持しかありませんでした。それが今回、ANN調査で20%という結果で、記事の見出しも『福田氏、安倍氏を猛追』だそうです

中共と朝日の必死な捏造数字がにじみ出たこの捏造調査結果には思わず笑ってしまいました。

福田 康夫氏は二階 俊博、河野 洋平両氏と並ぶ媚中派で、つまりは中国のいいなりになる人物

更にホイホイと中国のちょうちん持ちを進んでする朝日新聞も、毎日新聞も福田を持ち上げて、バイアスのかかった捏造数字を出して必死に安倍氏を総裁、首相候補から落とそうと世論を別のところへ持っていこうとして必死のようです。 …

ったくぅ、やたらゾンビみたいな連中がテレビに出捲りてな感じだもんナァ。

         ドン・金丸信の後継者


金丸信、この男を語らずして、なぜ今の政治を理解することができないのか?

それは、金丸の失脚後、小沢が自民党を離党して新生党を立ち上げ、細川連立政権を樹立したのは、金丸の政治的夢であった、自民党社会党を解体・再編成して政権交代可能なニ大政党を作るということに通じるからである。

金丸と小沢のニ大政党論に共通しているのは、結集すべき理念が何なのか明確ではないということだ。だから、新進党に平気で公明党を参加させた。

また、小沢と袂を分かって自民党に残った橋本や野中も、金丸の別の部分、つまり、「利益誘導と、その見返りとしてのカネ」「無定見で妥協を得意とする」ところを見事に引き継いでいる。

※空気読めないでマンマやっちゃって間もなく御用っ!状態なわけだネ。

そして、この「金丸」的な政治と真っ向から闘い、勝利を収めたのが小泉純一郎だった。要は、「失われた10年」を取り戻す闘いは、「金丸政治」との闘いでもあったと言ってもよい。…

金丸の「金権」「売国」的体質は野中がしっかりと引継ぎ、無定見な「政界再編の夢」は小沢が引き継いだ

そして、小泉は、そのような「金丸的な体質」に果敢に闘いを挑んだ。 …

自民・福田にミンス・小澤で、この流れを田中金権に引き戻そうってかぁ?

そんな印象しかないよなぁ。

ポルポト竹中のリバタリアン手法でも、この連中ぶっ潰すためにゃぁ仕方ねぇのかなぁ?とか思いつつ、自分らのクビ斬り含むドラステックな「改革」偲んできたのがこの10何年だったんじゃなかったのか、とネ。


… 戦後の保守政権は、1972年(昭和47年)に退陣した佐藤栄作政権までは、米国の庇護の下、米国の後に付いていくだけでよかった。

ところが、佐藤の後を襲って首相に就任した田中角栄は違った。当時の米国のメディアは、「日本に、米国と対等にモノが言える首相が初めて誕生した」と報じた。

が、この米メディアの見方は正確ではない。1972年1月に、ニクソン米大統領(当時)が、日本の頭越しに中国を訪問した。ニクソン周恩来毛沢東の両首脳と会談、米中平和5原則を発表する。

このニクソン訪中の後、自信を付けた中共政権は「日本の佐藤政権、相手にせず!」と、我が国に対して強烈なパンチを繰り出した。

この衝撃が、米国の意向に逆らってまで、田中内閣を日中国交回復=日中友好路線に走らせたのである。

ここから、日米同盟に依拠しながら、中国とも政治的・経済的結びつきを深めるという外交路線を、我が国の保守政権は取るようになった。

この路線は、実は米国の国益にも合致していた。なぜなら米国は、(旧)ソ連を最大の脅威とみなしており、当時の中共政権も、強烈な「反ソ連」だったからである。

中共政権は、「反ソ連」という一点のみで、日米安全保障条約日米安保)さえ肯定的に評価した。ここに、東アジアにおける反ソ連共同戦線が成立したのである。

中共政権が日米安保を積極的に評価したときの、社会党(現・社民党)首脳の困惑しきった表情が忘れられない。

田中内閣が登場して変わったのは外交ばかりではない。日本の政治・経済構造も大きく変わった。

田中は、「越山会」という後援会を組織した。そして、「越山会員の建設業者による公共事業受注と、その見返りとしての選挙の際の票とカネ」という相互依存関係を地域社会に張り巡らせた。田中は、こうして地域社会を支配した。

この田中のやり方は、(特定一部)地域社会のインフラ整備と(特定一部)住民の生活向上に大きく貢献した。

が、反面、「利益誘導と、その見返りとしての票とカネ」という手法が自民党内に蔓延し、自民党全体を「金権体質」に変質させた。

また、日本経済を、公共事業に過度に依存させるという、いびつな産業構造に導いた。後々のバブルや借金漬けの財政も、この時期にその土壌が作られたと言ってよい。

この田中の支配は、1985年の「創政会」=竹下グループの田中派からの離脱まで続く。実に13年近くにわたって、「田中支配」が自民党及び日本を席巻したのである。

この田中支配は上述したように、「創政会」=竹下グループの分派で終焉を迎える。そして、田中の支配下にあった中曽根康弘内閣は自立し、独自色を強める。中曽根は、国鉄民営化や民間活力活用政策で成果を上げ、竹下登に政権を禅譲する。

ただ、田中派の分裂を機に自立した中曽根政権だが、「利益誘導と、その見返りとしての票とカネ」という田中的体質は相変わらずで、「土地本位制」とも揶揄された経済体質は、そのまま引き継がれた。

この土壌の上に、円高対策により発生した過剰流動性が、バブルという「あだ花」を咲かせることになる。…

唐突に眞紀子が小澤にヨイショコイテル映像が出てきたりしてネぇ。

いやはや、ゾンビ大集合の状況だよナァ。

ま、この際まとめて葬るてなこともあり、なんだけどサ。