スカスカ老人は害振り撒くダケ。まさに老醜。

2ちゃんねるから。


NYタイムズ】『歴史が分からない小泉』〜渡辺恒雄「2/12」

【読売新聞会長〜『喜んで神風が出撃したと言うのは嘘』】

日本で保守的な論調の読売新聞・※3.渡辺恒雄会長兼主筆が歴史も分からない小泉純一郎総理が勉強もしないと批判して注目を集めている。

渡辺会長は※1.11日(現地時間)、発刊されたニューヨーク・タイムズとの週末ワイドインタビューで「小泉、この人は歴史や哲学が分からないのに勉強もしないし、教養もない」と語った。

           老害ナベツネ
"This person Koizumi doesn't know history or philosophy, doesn't study, doesn't have any culture."- Tsuneo Watanabe


渡辺会長は引き続き「彼が『靖国参拜の何が間違いのなのか』『靖国を批判する国は中国と韓国しかない』など愚かな事を言うのが正にそれだから」とし、続いて「彼の無知から始まった事だ」と批判した。

※2.太平洋戦争の終盤に行き詰まった軍部が神風特攻隊を出陣している時期、二等兵軍に入隊した渡辺会長は神風に対しても苦言を漏らした。

彼は

彼らが『天皇陛下万歳!』と叫んで勇敢に喜んで行ったと言うことは全て嘘であり、彼らは屠殺場の羊のみだった

とし、

一部の人は立ち上がる事が出来なくて機関兵士達により無理矢理飛行機の中に押し入れられた

と語った。


ニューヨークタイムズは事務室で2時間の間インタビューを行った渡辺会長が「今年で年が80とあまり残っていない」と言い出した後、日本が凶悪だった戦争の時代を認める必要があると強調したと伝えた。

発行部数が1,400万部と世界最大の新聞社の会長である彼が、過去に紙面を通じて熱心に育成したナショナリズムが浮び上がっているのに対し、今では疑問を申し立てているということ。

渡辺会長の初行動は去年の6月、社説を通じて小泉総理の神社参拜を批判することから始まった。

これはそれまでの靖国訪問に対する外国の批判を本能的に批判する傾向があった読売としては態度を180度変えた事だ。

日本とアジア近隣諸国の関係に対する渡辺会長の憂慮を反映したこの社説は、靖国神社に代わる追悼施設を作ることを促しながら政界に波紋を拡げた。

渡辺会長はA級戦犯東條英機前総理をヒトラーに比喩しながら、小泉総理はミリタリズムを賛美する祠堂を崇拜すると批判した。

特に戦争を経験した多くの戦後リーダー達のように、渡辺会長も戦争を全然経験していない人々が更に感情的なナショナリズムを訴えているに対し、気にいらなく思っているという事である。

(中略)

日本が過去の蛮行を自ら検証しなければ、決して成熟した国にはなれないと確信する渡辺会長は、約60年前に発生した事件に関する年間シリーズ記事を載せるように指示をした。

彼はこのシリーズが一部の政治家の見解を変え始めたとし、「私は日本全体を変える事が出来ると思う」ともっと大きな野心を打ち明けたとニューヨークタイムズは付け加えた。

ソース:連合ニュース(韓国語)

※1.


NORIMITSU ONISHIノリミツ・オオニシ大西哲光)の基礎知識

ニューヨーク・タイムズ紙東京支局長
千葉県市川市で生まれ、4歳の時、家族でモントリオールに移住。国籍はカナダ

Wikipediaに《2005年12月15日現在、36歳。》とあった。1969(昭和44)年生まれか。

プリンストン大学で学生新聞編集長を務めた。前任地は西アフリカ・コートジボワール。ナイジェリアの民政移管やシエラレオネの内戦を取材した。9・11後はアフガニスタンにも出張した。

[参考]
ニューヨークタイムス東京支局 東京都中央区築地5丁目3-2
朝日新聞社            東京都中央区築地5丁目3-2

朝日新聞→NYT東京支社大西→NYT→共同通信


2ちゃんねるに載ってた大西ノリミツの問題諸記事集。

慰安婦について

日本は孤立している。その他

イラク邦人人質事件とか。

単なる“洒落”を日本誹謗の材料に、とか。

鄭大均教授の不肖の妹について。



※2.& ※3.


略歴

# 1926年 現在の東京都杉並区に生まれる
# 1939年 開成中学校に入学。第4志望であった。第1志望は府立高校尋常科、第2志望は武蔵高校尋常科、第3志望は府立一中であったとのこと。
# 1943年 東京高等学校編入学網野善彦氏家斉一郎と知り合う。
# 1945年 東京帝国大学文学部に入学。同年7月に陸軍砲兵連隊に入営するも、終戦の2日前に除隊
※1ヶ月も経験してないじゃん

# 1946年 天皇制への嫌悪から日本共産党に入党
# 1947年 組織のために個人を犠牲することに疑問を抱いて本部を批判、日本共産党を除名される。ただし、日本共産党には除名したという記録は一切ない為、離党して“除名された”と自称していると思われる。

# 1949年 東京大学を卒業して東京大学大学院に入学する。当時は哲学者、東京大学総長を夢見ていたが、修士論文執筆のためのネタ本を、新宿の公衆便所で紛失。というより紙が無いのでそれで拭いてしまった。「ペンは剣よりも強しというが糞よりは弱い。」どんなに高尚な書物であっても、所詮人間の欲求や生理現象にはかなわないことを悟り、新聞界への就職を決意。

# 1950年 読売新聞に入社。読売ウィークリーに配属される。高校時代からの学友氏家斉一郎(現・日本テレビ放送網取締役会議長)を誘う。

# 1952年 日本共産党山村工作隊の取材で奥多摩のアジトに潜入し、拘束される。無事解放されるが、このとき隊のリーダーだったのが、「生きることの意味」の著者、高史明であったという。このスクープが認められて政治部に異動。…

1978年 水たまりでおぼれかける。…

1992年 睾丸の摘出手術に成功。…
※なるほど…こういうこと言うわけだよねぇw


# 2006年 1月5日に刊行された論座朝日新聞社)において、靖国神社への首相参拝を非難する内容の対談を若宮啓文朝日新聞論説委員と行う。


小鼠無知ぃっ!は正しいカモだが、どっちもどっちじゃんw

たまたまウチの親父と同年齢で兵隊経験も同じようなもんだけど、しかし似たような発想してるよなぁ。

実際、80歳くらいでも兵隊経験あっても実戦経験ない人は言ってることまずは信じられないみたいだし、また90歳くらいで経験あっても洗脳害毒撒き散らし中帰連爺ぃらのようなのもいるし。

はぁ? 撫順の“奇跡”を受け継ぐ会ぃぃ〜w ハヨイネ

亀の甲より年の功もまったく通用しない、ヘンテコでたぶん有史以来w希な時代に突入してるてなわけなんだよねぇ。